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とりくみ(日程)
2000年9月半ば、
名古屋演劇鑑賞会(名演)
9月例会は「検察官」。遠路はるばるとモスクワからやってくるユーゴザーパド劇場公演です。そのころ、ロシア語勉強を始めたばかりの私には、「
ナマロシア語が聞けるまたとないチャンス
」。不真面目な名演会員が心をいれかえて例会を大いに期待してた。
劇団のみなさんと名演の交流会参加者との記念写真
こんなに大勢がいるなかで、知り合ったのです。
私は左、このときはまだ知らない俳優は右に。
友人の当時名演事務局員、故・石村さんが「モスクワからの俳優たちを名古屋城などへお連れしたい。名古屋での彼らの貴重なオフの日を楽しんでいただきたい。どなたか通訳をしてくださる人を紹介して欲しい」と。
大事な友人、ロシア語堪能なOさんをご紹介し、Oさんも喜んで引き受けてくださり、私もいっしょに名古屋能楽堂や名古屋城へご案内した。その頃の私のロシア語は「こんにちは」と「ありがとう」くらいなもの。
モスクワからやってきたのは総勢25人くらいだったか。こちら名演の歓迎団も同じくらいの人数。能楽堂喫茶室でのお茶会交流会で、4人かけのテーブルには3人ロシア劇団員、ひとつの空いた席に少々恥ずかしかったが、私は座った。
対角線側に座っていたのが、シューラ(もちろんそのときは名前を知らない)。大きな身体で、タバコばかりを吸っていた。言葉は通じなくとも、ちょこっとだけなにかお話しをしたような記憶がある。
好印象を持ち、その場で通訳Oさんにお願いして「明日劇場へお土産を持って行きます。明日の舞台が楽しみです」と通訳していただいた。
「検察官」はロシアではあまりにも有名なお話で、ロシア演劇業界では、いろんな工夫した演出でこのゴーゴリー作の傑作芝居を楽しませてくれる=と知ったのは後日のことだが、私はなんの予備知識も持たず開演を待った。
と、役者のやわらかい身体を十分に使った高度な技量の演技に、幕あき早々からわくわくしてしまった。もちろんロシア語劇。こんなにもロシア語のシャワーを浴びるのもうれしい。こんなに聞ける機会はないもの。
そこへ昨日、私の前に座った大きい体の彼が登場する。主役フレスターコフの下僕オーシップ役で登場する。「ああ、昨日の彼。あれ、なんと素晴らしい演技なの
でしょう」と釘付けとなってしまった。
劇団みんなが「私たちお芝居をするのが大好きなのですよ」という俳優の気持ちが飛んでくる。
私も「こんなに楽しい時間があったのだぁ」と、大感動してしまう。
「検察官」 オーシップ役の シューラ 右端
「ユーゴザーパド劇場25周年記念誌」内
約束のおみやげは、モスクワのご家庭にハガキを送っていただこうと、国際郵便用葉書(70円)を沢山買い、持って行った。劇団の通訳Hさんに「オーシップ役の彼にお会いしたいのです」と楽屋口でお願いすれば、すぐに彼が出てきてくれた。
「あれ?昨日の人だ」と言うような彼の顔。通訳を通じて「楽しかったです」と言えば、
「ぜひ、モスクワに観に来てください」との返事と握手。うれしかった。あとで通訳氏に彼の名前を再確認した。ゴルシュコフさんですね。
9月25日は、京都へ出かけることを暑い夏のころから予定していた。美容師の友人とともに日本髪パレードを見に行く予定だ。
そのちょっと前に、ユーゴザーパド劇場日本公演スケジュールを見ていたら、ナント私が京都へ行く日に京都公演があるではありませんか。「これは見なさい、ってことだ」とすぐに、各方面に連絡して、京都でもまた「検察官」を見ることとなった。
京都では、夕方会場へ行き、「検察官」を友人ともども心から楽しんだ。終演後は、楽屋にちょっとだけ行き、「名古屋から来ました」とまた彼に会った。ちょっと不思議そう、うれしそうな彼だった。
彼らのスケジュールは、翌週から土日も含め1週間の東京公演となっている。「東京か、遠いなあ」とかなり弱気になっていた私だったが、1週間いるのならば手紙を受け取ってもらえると思い、手紙とお土産にと扇子と、日本国内郵便用葉書=私の住所を書いたものを同封して劇場へ送った。
手紙は、「私がモスクワに行ったらお会いして、いっしょにレストランに行きましょう。モスクワのご自宅の住所を教えてください」と、ロシア語で書いた。返事を送ってくれるかな?
その手紙が彼の手元に届くまでが、もう待てなくって、「つぎの土日は東京へ行く」と決めていた。が、もし、行っても彼らになにかご用がありお会いできなければ、落胆が大きいから、事前に彼に「会ってくださいますか?」を確かめたかった。
通訳のHさんにFAXを送りつけた。「土曜日、東京に行きます。彼に会えますか?」と。
「『喜んで待っています』と申しておりますので、お気をつけておいでください」。待っていたうれしい電話を、通訳Hさんは東京からくれました。
はがきの返事も到着して、「ぜひ、モスクワにおいでください」ととても読みやすい字で書かれていた。
電話もはがきもうれしくって飛び上がった。名古屋と横浜の友人を誘って、「ロミオとジュリエット」を見に行く。心からワクワクして見る。あらかじめ東京の宿泊地を確保して、ゆっくりと俳優とお話しをするつもりだ。
終演後楽屋口で約束どおりお会いした。すっかり舞い上がってしまっている私。友人たちと通訳のH氏を待ち、夕食にでかける予定だが、通訳氏は、まだ劇場から抜け出せないようだ。しばらく待っていると、「スミマセン。どうも抜け出せません」と電話が入り、私は困ってしまった。
が、俳優は「じゃあ仕方がないから、もう、行こうよ」とでも言った様だ。舞台を終えたばかりで俳優は空腹だったのだ。私は
まったくロシア語ができない
。通訳同席の予定だからと、辞書や会話本も持ってきてはいない。俳優は日本語も英語も知らない。
でも、なんとかなるでしょう、と、俳優たちの宿泊ホテル近くの深夜レストランへ3人で出かける。
「何が食べたいの?」「どんなお店が良いのですか?」と身振りと、極めて数少ない知っているロシア語単語と、日本語で、ピアノが流れる店に入り、お酒と食事をしながら、紙とペンを持って、なんと3時間、いろいろとお話しができた。
これは、いま思えば、ちょっとした「奇跡の夜」です。私の言いたいことをしっかり聞いてくれる、俳優の耳の良さ、ゆっくりしゃべってご自分を表現する俳優らしい所作。なによりも落ち着いた態度に、またも大感動した私だった。
翌日、日曜日も
「ぜひ、見にきてください」という彼からの申し出。
当然、翌日も「ロミオとジュリエット」を見る。ああ、素晴らしい。
「ロミオとジュリエット」の衣装で
終演後少しだけお会いした。「ぜひ、モスクワにいらっしゃい。家族も紹介するから家にも来て下さい」。「はい、きっと行きます」。もちろんロシア語で。私はロシア語ができないハズだったが、
ちゃんと通じ合って
しまった。
ロシア語で手紙を書く。と、言っても簡単なことではないから、辞書や会話本の例文などを並べたような手紙を書いた。そして、とっても時間がかかる。「きょうは手紙を書く」 と決めたら、ほかはなにもせず、一日それに集中です。
ロシア語の勉強をはじめてまだ1年も経たないから、手紙の文字も内容もまったくどうしようもないもの。
名古屋とモスクワとの郵便は2週間くらいかかる。時間がかかり過ぎる。ふだん携帯電話で、すぐに返事をもらうことが当たり前の私たちの生活に、この時間はちょっと気持ちを優しくしてくれる“ゆとりの時間”となっていた。
私は、扇をサンクトペテルブルクへ贈る取組中でもあった。
2001年正月にモスクワへ行く準備をはじめた。4回目のロシア行き。はじめての冬の旅です。モスクワへ、冬に行くためにと、大大大奮発のローンで毛皮コートを買った。これがあればこれから何度でも冬のモスクワへ行ける ! とうれしくなる。
友人ご夫妻もいっしょにモスクワ行きの準備をはじめる。モスクワでは、扇のエレーナとも会いたいし、もちろんシューラのお芝居もいっぱい見たいし、シューラのご家族ともお会いしたいし…。
通訳さんも車の手配も必要だ。さあ、どんな旅になるだろう…。
出発が近づいたある日、モスクワの俳優シューラからFAXが届いた。「車は心配しなくとも良い。僕の友だちアンドレイが助けてくれるよ。通訳は、日本人女性が助けてくれる」。
それを読んだとき、「なんだあ。彼はモスクワで日本人女性とお友だちなんだ」。
大晦日の夕方、「モスクワからです。ユーゴザーパド劇場の野崎です。シューラから頼まれまして電話しております。何時にモスクワへご到着ですか?」と。
ユーゴザーパド劇場のパンフレットには、日本人女優・野崎さんが写っていたし、交流会や京都でもちょっとだけごあいさつをしたことはあるので、電話の向うの女性の顔はすぐわかった。
「シューラは、くにさんという女性が通訳をしてくださると連絡してきましたので、モスクワで、くにさんという方にお会いできるかと思います」と、言えば、「私がくにです」とおっしゃるではありませんか。まあっと驚いた。「あなたがくにさんでしたか」と、ものすごく、ホッした。
そして、冬のモスクワの旅、ユーゴザーパド劇場観劇・感激の旅ははじまったのです。