05年夏「この子たちの夏」
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 ロシアの旅(5回目)

  2002年1月12日〜20日

  モスクワ・サンクトペテルブルク

        

 前回の旅で、冬のモスクワの美しさに心打たれた。シューラの芝居シーズンがはじまり、見たくてたまらない。それに、サンクトペテルブルク(以下略してSt.Peter.と表記します)のエレーナに、また扇などを届けたい。
 知り合ったばかりの富ちゃんに声をかけると、「行きたいわ」。すぐに話しは決まり、いつもの旅行会社に依頼して手配してもらう。
 St.Peter.では留学中の青年,それも日本で会ったことがない日本人青年に会う。エレーナの紹介で、作家と家族や友人にも会う、そんな盛りだくさん計画の冬の旅に、ふたりで出かけた。

1月12日(土)

 今回いっしょに行く富子さんと知り合ったのは、ほんの2ヶ月前のこと。心の大きい元気でおしゃれな冨ちゃんは、世界各地へ出かけてみえるそうだが、モスクワは始めて体験で、とても楽しみにしている。
  くにさんとは、熊野天女座ですでに会っており、再会も楽しみにしてみにしている。私も早く、くにさんにも、シューラにも会いたい。

 名古屋空港に朝7時過ぎ集合。昨秋の9・11アメリカ同時多発テロの後で、荷物検査などで、空港カウンターは混んでいる。
 名古屋から成田へ向かう飛行機jは満席で、きゅうくつで仕方がないが、1時間の辛抱です。成田で4時間ほどふらふらと過ごす。
 
 成田から毎度おなじみアエロフロート機は、順調に飛び立つ。座席は、いっぱいではないが、がらがらでもない。10時間の飛行中の後半、機内で頭痛が起こる。たしかセデスをどこかに入れたはずだが、探すのも面倒なので、客室乗務員に「頭が痛いよ。お薬はありませんか?」とロシア語で言えた。ロシア版大粒セデスを飲んで一眠りをしたら、ウソのように楽になる。
 シェレメチボ2空港へはシューラが迎えに来ているはず。運転手は、前回もお世話になったアンドレイもいっしょに。
 時間通り飛行機はさほど寒くないモスクワに降り立ち、私たちは、荷物の受け取りも、ドキドキする税関もすんなり終えて、迎えのシューラに会うことができた。車の運転手は、アンドレイ、シューラの友人の優しいまなざしの好青年。富子さんはシューラにはじめて会い「まあ、ちょっと……」と興奮気味。車の中でも、シューラをみつめてばかりの富子さんです。
 今回のホテルは、ソ連時代に建てられ、モスクワ大学近くだからか、大学関係者も多く泊まるちょっと旧式ホテル「スプートニク」。喫煙家の富子さんが私に気兼ねせず楽しんでいただくために、事前にそれぞれ別室シングルで予約しておいた。チェックインを済ませ、またすぐに車に戻り、今回も、通訳ガイドでお世話になる、女優のくにさんの家に行く。
 

 彼女はお料理を幾種類か用意して待っていてくれた。外は寒いが、部屋の中はどこも暑いほど。半そでTシャツのくにさんの横で、汗をかいている私たちだった。
 おいしいお料理とワインと、なんと言ってもシューラとの再会はうれしい限り。が、時差のことを考えれば、6時間先に進む日本では、深夜2時ごろ。まだ体内時計は未調整なので、眠くってたまらず、座ったまま眠る私であった。
 それを見たシューラが、「疲れているのだから、早くホテルへ行って今夜は早く眠りなさい」と優しく言ってくれるが、眠いばかり。

  (写真*くにさんが用意して下った美味しいお料理の数々です)

 ホテルの部屋に戻るなりすぐに、小さなベッドにもぐりこむ。
 が、深夜のこと、寒くって目が覚める。身体の奥から冷えてくる寒さに、閉口。風呂の湯もぬるく、がまんできない。「明日は部屋を変えてもらうぞ!」と決める。



 

1月13日
 寝不足気味。でも食堂に下りて朝食を摂る。
 

 写真*ホテル朝食。ヨーグルト(左)と暖かいチーズ料理(右)これに「本日のお料理」が付く。
 が、コーヒーがインスタントで、紅茶も美味しくない。






 寝不足のボケボケ状態で、適当に服を着てコートを着て、午前11時、くにさんとアンドレイが来てくれて、すぐホテル近くの観光名所へ行ったが、寒くってたまらない。「部屋に戻って暖かい服に着替えたい」と、笑うアンドレイにまた、ホテルまで戻ってもらった。


 暖かくしたので、これで落ちついて市内観光できる。
 市場の様子を見て、蜂蜜屋をのぞき、「赤の広場」へ、その前のグム百貨店では、定番マロージナエ(アイスクリーム)を食べる。美味しい。外は寒くたってここは暖かいし、なにより乾燥した空気のなか、冷たくって甘いマロージナエは最高です。


 繁華街を歩き回り、遅めの昼食には、私の好きなブリヌイとペリメニをいただき、満足です。

 今夜は、ユーゴザッパド劇場へ「旅籠屋の女主人」を見に行きます。01年の1月にも後半部分を見たが、何度見ても私は大丈夫。楽しみです。なんと言っても、そのために、モスクワへ来たのですもの。
 途中の花屋さんで赤い薔薇の花を買う。1年ぶりの劇場は、きょうも観客がいっぱい。ワクワクするものです。舞台のシューラも元気よく、はりきっていることがわかります。

 外は寒い冬の夜。でも劇場の中は、心から芝居を愛する地元の人と役者たちの熱気がぶつかり合い、すごく熱い。もちろん、暖房も暑いほど。終演後、とても良い気持ちで、アンドレイの車でホテルまで送ってもらった。



   




  冬の子ども達。どんなに寒くたって彼らは外で遊びまわります




1月14日 

 きょうは、着物を着ます。富子さんは着付けのプロなので、とても楽に着物を着せてもらえました。それに暖かい。きょうもくにさんとアンドレイが車で迎えにきてくれ、すぐにモスクワに住む日本人友人の仕事場へ表敬訪問に出かけました。おしゃべりの花が咲きます。外は雪景色。
 きょうは午後5時の約束で、シューラ宅へお伺いします。
アンドレイの車で、市場などへ寄って、おみやげ等を買い、でも、ちょっと早めに着いてしまったので、シューラが住む集合住宅の前の雪の公園で時間をつぶす。        


 シューラは、昨夜の終演後も稽古などがあり午前3時に帰宅し、今朝も稽古で、午後2時に帰ったばかりと言う。厳しい俳優の生活を垣間見る。
 それでも、私たちを奥様ともども歓迎してくださり、くにさんもアンドレイもいっしょに、とても楽しいひと時を過ごした。富ちゃんも楽しそうで、なにより。私もお連れしてよかった。
 あまりの楽しさとお酒に、私はすっかり酔ってしまい、超ゴキゲンでホテルへ戻った。
 
 が、深夜、腹痛で苦しかった。シューラが「ワインを飲んでビールを飲むと、後で爆発するよ」と頭の上で両手を広げたりしていたのが、大当たり。頭痛もするが、腹痛がきつい。持ってきた薬を飲み、反省しながらウトウトと眠る。




1月15日(火)
 なんとか腹痛も頭痛もひどい痛みは治まったようなので、ホテルレストランへ朝食に行こうと、部屋の鍵を探す。あれ?鍵がない!!


 困って廊下に出て、わが部屋のドアを見れば、鍵が差し込まれたままではありませんか!酔って帰ってきたので、こんなことをしてしまった。危ない、危ない。
 
 富子さんに笑われ、その後迎えに来てくれたくにさんにも、笑われてしまった。


 きょうは、St.Peter.から、エレーナが、モスクワへ、私に会いに来てくれる。「モスクワでの仕事もある」とかで、仕事をからめて、ここまで来てくれるのです。なんてすごいことでしょう。

 雪が降る外を見ながらホテルロビーでエレーナを待っていると、茶色の毛皮コートに、白い帽子のおしゃれなエレーナがやってくるのが見える。うれしい。
 

 私は二日酔いだがそれはエレーナに隠して、1年ぶりの再会を喜び、今日の予定を確認しあう。
 私たちは明日の早朝の飛行機で、St.Peter.へ行き、エレーナは今夜の夜行でSt.Peter.へ戻り、明日の昼私たちを迎えてくれるのです。
 モスクワでいっしょに遊ぼうと日本から連絡をとり、きょうはモスクワでの一日を楽しむことを約束している。

 みんなでアンドレイの車で、本屋などへ行く。日本で待つロシア人留学生Sマラトからの頼まれ物「20世紀初頭の詩集」を、エレーナの助言で買う。私ひとりでは買えるものではないが、エレーナは一生懸命選んでくれ「これならSマラトが喜ぶわ」と私に手渡してくれた。私のために、ロシア語勉強帳やロシア料理の本などを買う。

 それらを手にして、遅い昼食に「カフェ プーシキン」へ。エレーナは、富子さんと私を、St.Peter.のどこへ案内しようかと、それは楽しみにしているようです。食事をしながら、くにさん通訳で私たちの2泊2日の滞在をエレーナは、とても楽しみにしている様子で、うれしい。すべて、彼女に任せることにしよう。


      
 
             モスクワを歩く私たち



 その後くにさんの紹介で今日から開催の「日本とロシアの絵画と俳句合同展覧会」へと行く。
 開会セレモニーには、在露の日本人も多く参加しているようだが、私はここでどうしようもなく眠くてたまらない。ホールの座り心地が今ひとつのソファーに座り、とても失礼だったが、どれだけの時間か眠った。

 おかげで身体が楽になり、その後みんなで駆けつけた、ユーゴザーパド劇場の「じゃじゃ馬ならし」を眠らずに見ることができた。

 きょうはシューラへのプレゼントにウオッカを持っていき、カーテンコール(カーテンはないが)で俳優が並んだときに、お渡しした。俳優はとてもうれしそうです。

 エレーナは「サンクトペテルブルクで待っているからね」と、夜行電車に乗るために終演後急いで、駅に向かった。

 終演後、シューラとくにさんとともに、劇場近くのホテル(ツェントラーリヌィ ドーム トゥリスタ)の軽食堂で、暖かいものを食べ、軽くいっぱいのつもりが……。明日朝早く、ロシア国内航空で、St.Peter.へ移動する富子さんと私。だから、適当に引き上げて、部屋で眠らなければ……、と計画していたのが、ごろりとかわってしまい、結局午前4時まで、

 約5時間そこで飲みながらしゃべりながら過ごした。シューラがゴキゲンでこうなってしまったのだが……、「もう、ホテルの部屋に帰って眠ってしまうと飛行機に乗れないから、この勢いでホテルを空けて、空港へ行こう」ということにして、ずっと外で待っていたアンドレイの運転で、まずシューラを家に送った。「シューラ、またモスクワに戻ってくるからね」といったんここでお別れした。


 すごく酒を飲んでも平気なくにさんと、あまり飲んではいないはずだが、まったくかわらない富子さんと、眠くはないが身体と頭の動きが悪い私と、ホテルで早朝のチェックアウトをして、すぐに空港へ向かった。くにさんは車の中で沈没状態。まったくさっきまであんなに元気だったのに。
 国内線用第1シェレメチボ空港からSt.Peter.へと早朝の飛行機はビジネス便で、スーツ姿の男たちが多く乗りこむ。1時間40分ほどのフライトだが、爆睡をした私だった。





 
1月16日

 St.Peter.には、夜行電車でモスクワから戻り、そのまま職場に直行したエレーナが、また職場を抜けて、私たちを迎えてくれた。
 ホテルはおなじみの巨大ホテル「モスクワホテル」。チェックインし、シューラへ電話をする。電話のせりふは、エレーナが教えてくれて「無事着いたよ」を伝える。

 St.Peter.では、ひとり会いたい日本人男性=S君がいる。と、言ってもまだ会ったこともなければ、どんな人なのか実は知らない。電話をかけ、きょう夕方、町の繁華街で会う約束をした。エレーナもいっしょに彼に会う。
 
 エレーナは職場に戻り、富子さんと私は、昼食へ近くの喫茶店のようなところへでかける。ここは、たしか、00年夏に来たことがあるが、まったく雰囲気が違うので、違う店かもしれない。
 通訳がいなくとも、ちゃんとビールも食事もコーヒーも注文し、美味しくいただき、満足する。「夕方まで眠ろう」と、富子さんとまた別室にして別れる。

 が、ホテルがうるさくてたまらない。壁を壊してガリガリゴンゴングオー と工事中なのです。もういやだアと怒りながらも、睡魔に勝てず、ガア〜〜と私は眠ったようです。
 
 夕方エレーナがホテルまで来てくれ、地下鉄に乗り、S君との待ち合わせ場所へ行く。夕方の人ごみの中で、上手く会えるのかと心配したが、ここは日本ではなかった。日本人は珍しいのだから、きっとすぐ会えるだろう。エレーナは、面識のない日本人同士が会うということに興味を示してうれしそうで、彼女が彼をすぐにみつけてくれ、「会えたでしょう」と、笑っている。

 S君と私たちはSt.Peter.ネフスキー大通りを歩き、「蝋人形館」や夜のイサ―ク寺院を見て、エレーナおすすめのビールハウス風レストランへ行く。途中、S君は「きょうは暖かいですよ。2〜3日前なんて氷点下15度くらいで、こんなに夜の外を歩くこともできませんでしたよ」と私たちの幸福を祝ってくれる。
 彼は語学留学中で、「一応勉強ばかりの毎日です」って笑っている。エレーナともすぐ仲良くなり、明日夜は、マリンスキー劇場へみんなでオペラ「運命の力」を楽しみに行きます。


1月17日
 やはり私のロシア語力では、どうにもなりません。私ひとりなら間違っていても、時間がかかっても良いが、富子さんがせっかくの旅を楽しめなくなります。

 エレーナも私に伝えたいことがいくつかあるはずが、通じないようで困っています。と、朝、ホテルのロビーで、日本語でロシア人女性が、声をかけてくれた。「ガイドのマーシャです。エレーナさんからの紹介できました」。やはり、エレーナは素晴らしい人です。


 マーシャに連れられて、エルミタージュ美術館へ。00年夏に来たときに比べ、ロビーなどが明るくなり、また、地下にカフェがオープンしており、トイレもきれいになって、驚いた。と、いうかそれまでがひどすぎたので、やっと普通になったのかと、リピーターらしく思う。(写真*エルミタージュ外国人チケット)

 美術館に居た間は雪がどんどん降っていたが、出てくると雪は止み、さほど寒くなく、歩いて、エレーナの職場へ彼女に会いに行く。

 エレーナは、ロシア民族学博物館修復学芸員の中堅として働き、その仕事ぶりは大きく評価されている。職場は、博物館裏手の静かな建物にある、「修復課」とでもいうところなのか、いろんな分野に分かれた部屋で、彼女は道具類の修復を仕事にしている。古くて壊れてしまったようなものを、単に修復するだけではなく、歴史的遺産としてもよみがえらせていく、とても根気がいる細かい仕事をしている。彼女の仕事場も、そんな細かい仕事に、とことん集中できるような静かな部屋だ。


 彼女の仕事終了を待ち、いっしょにマリンスキー劇場へバスで急ぐ。
S君と劇場前で待ち合わせ。私には、5度目のマリンスキー劇場です。
 冬は初めてなので、コートを預けるところでまごつくが、そうだった、こういうことは、S君の仕事でした。女性のコート預かり場所におくのは、いっしょに来た男性がすべきことです。
 3人の女性と来たS君大奮闘です
     
    写真*マリンスキーの切符 これも良い堅い紙になっている

 「運命の力」は、ゲルギエフ氏の指揮ですすむオペラ。舞台の奥が深く、延々と奥の奥まで続いているように見える。オペラ歌手の豊かな声量と鍛え上げられた技に、感服する。
 この切符は、S君が、忙しい合間に購入しておいてくれた。学生の彼は、240ルーブル(日本円約960円)だが、私たち日本人は、1200ルーブル(4800円)です。日本のオペラ料金と比べればすごく安いが、ここロシアでは、とても高額のチケット料金。エレーナも驚いていた。私はちょっと考え込んでしまう。
 
 途中エレーナは、「ここから自宅までは遠くってごめんなさい、帰ります」って言う。「あれ、もったいない」と思ったが、地元の彼女は、いつでも、ここへ来ることができるのだった。
 で、S君と富子さんと私も、幕間に、「酒でも飲もうか」と言う話が決まり、途中で抜けでる。もったいないことをしているのは、私たちだった。

 ロシア風居酒屋でかなり盛り上がり、遅くにホテルまで送ってもらい、例のごとく酔い寝をする。



1月18日(金)
 朝ホテルへガイドのマーシャが迎えに来てくれる。「エレーナの仕事場へ行きましょう。そして、夜は、童話作家のご自宅訪問し、夜行電車に乗ってモスクワへ戻るのですね。ずっとお付き合いいたします」とお上手な日本語で、話してくれるマーシャです。


 写真: 修復を待つ古い道具を持って仕事を語るエレーナ 左
   通訳をしてくれる マーシャ 中



 エレーナの仕事場の一角には、修復を待っている道具、家具、衣料などがたくさん置かれている。エレーナは衣料ではなく、家財道具類や宗教道具類などの修復を専門にしているので、扇もその修復道具として出会い、扇のルーツをたどれば日本に行き着き、日本にも興味を示している。「いつか、そうね、おばあちゃんになるまでには、日本へ行き、扇つくりの専門家とお話しをしたいわ」と熱く語る。

 エレーナを京都に連れて行くことができれば、どんなに喜ぶだろうか……。と考える私だった。

 彼女の上司の上品な理知的雰囲気ただよう白髪の女性が「日本は地面がいつも揺れているのかい?蛇を食べるのかい?」と聞いてくる。あらら。
 でも、「ロシアには食べ物がないでしょう」と、まだ多くの日本人が思っているからおあいこの話かな?


  「ロシア民族学博物館」の1階展示フロア―をエレーナの案内で、見学する。その大きさというか広さに驚いてしまった。

 展示物も、いかにロシア国土が大きく、多民族で、長い歴史の中、人々が大地とともに懸命に生きてきた様子を、ちょっとだけ見たような、というのが、正直な感想です。
 時間をかけて、ゆっくり見学したい場所のひとつです。
 



 エレーナは職場を離れ、いっしょに昼食も兼ねて、ちょっと歩いて「ユスポス邸」に行くことにした。と、言っても私のリクエスト。ユスポフ邸がずいぶん整備されたと聞いたので、行きたかったから。
 エレーナはすぐ近くにいながら、はじめて行くと言い、楽しみにしている。ロシア皇帝時代の超お金持ちのお屋敷です。宮殿のようなけケバケバしさはなく、落ち着いた調度品や絵画は、落ち着く雰囲気です。ただ、観光地化してしまい、専任ガイドの「営業ガイド口調」とか「おみやげ販売商魂」は、いけない。残念です。
 ここのレストランを覗いたが、エレーナもマーシャも私たちもぶっ飛ぶ高い値段で、即やめた。
  
 夕方、エレーナの職場へS君もやってきて、エレーナの友人、童話作家のお宅へ「日本人をご紹介したいから」と、行く。
 日本人の私たちは、彼らになんにもおみやげを持ってきていないことが、気がかりだが、まあ、ニコニコとしながら行く事にした。
 今夜の夜行出発駅「モスクワ駅」(モスクワへ行く列車が出るからモスクワ駅ね)の近くだから、列車の時間までゆっくりしましょうとも。
 

 童話作家アンドレイ先生のお宅には、どういうつながりなのかわからないが、大勢の方々がお集まりです。先生は、「これは日本の風景ですか?」と私たちに襖絵を見せてくれるが、日本を描いた絵を模写したのか、中国か韓国のものか、どうも日本の景色とはちょっと違う。ロシアでは簡単に手に入るようなものではなさそうな、高価なもの。

 なにより先生のお宅は不思議なものがいっぱいあるし、小部屋がいくつもあり、彫刻・絵画・置物などちょっと恐い。
 アンドレイ先生、ゴキゲンで、これもどこで手に入れられたのか、日本の旅館の寝巻きを「着物を持っている」と洋服の上からはおり、「日本はおもしろいねえ」と言う。
 

 マーシャの通訳だが、どうも実は会話がうまくかみ合わない状況です。だって、富子さん、S君、私の日本チームは緊張しているし、大勢のロシア人チームは、私たちのすべてを、見逃すまい、聞き逃すまいと、これまた緊張しているのですもの。が、ここはニコニコ日本人で、笑いながら乗り切ったと思っている。  (写真の日付は日本時間のまま)

 夜行電車の車内まで送ってくれたS君に「一生懸命勉強しなくたって、せっかくステキなところにいるのだから、十分に楽しみなさいね」と伝えて、マーシャにはお世話になったお礼、エレーナとは近い将来の再会を約束し会って、涙でお別れをした。
 夜行電車=赤い矢号は、富子さんと私をゆっくり眠らせてくれる優しい揺れだった。


 1月19日(土) 

 「もう、モスクワに着いたの?まだでしょう。早いわ」と外は明るく、窓からは、どこかの大きな駅の景色が見えるが、私は富子さんに「まだまだ、モスクワに着くには早い」と言っていたら、「モスクワに着いたんだよ」とビジネスマン風英語男性が教えてくれて、私たちは慌てて下車の準備をして、飛び出した。

 たしかにモスクワだった。ここへ、くにさんとアンドレイが迎えに来てくれる。電車を降りたところで動かずに待っていることになっている。が、ふたりともいない。
 ホームの真ん中で突っ立っているのも寒いし、寂しいので、ホームの端っこで待っていると「タクシーはどうだい?」と次々に声をかけられる。ここはだれでも、入場券などなしでホームに入れるので、「気をつける」ポイント。「早く〜、くにさんよ〜」。30分ほど待ったか、向うから日本人女性が小柄なロシア人男性と走ってくる。ああ、良かった。そろそろ私たちも寒さの我慢の限界だった。

 駅からすぐに、くにさんのアパートへ行く。St.Peter.へ行く前に、大きな荷物はくにさんの住まいにあずけてある私たち。
 きょうの午前中、くにさんところでゆっくりしてから、昼食に。シューラ家族、運転手アンドレイ、くにさんたちへの「お礼の昼食会」を富子さんとふたりで計画していた。

 夜行列車では、ふたりともそれなりにしっかり眠れたが、洗面や着替えをくにさんのアパートでゆっくりでき、暖かいお茶をいただき、ほっとくつろいだ。もっとモスクワを楽しみたいなあ、やっと体がなじんできたのに帰るのは残念だが、仕方のないこと。また、来れば良い。

 アンドレイの車で送ってもらい、「ママゾーヤ」というグルジア料理レストランで、地下鉄でやってきたシューラ家族と待ち合わせて、再会を喜び、宴に入る。いっぱいいろんなものを次々食べたね。

 シューラは今夜も出番で、「空港までは送っていけない」と残念がっている。美味しいグルジアワインの酔いで、「またすぐに来るからね。待っていてね」。でもお別れはつらくて泣いていた、私だった。


 空港までは、くにさんとアンドレイの運転で送ってもらい、なにからなにまでお世話になったくにさんに、「日本へ戻ってくるときは、会いましょうね」と約束をしてお別れをする。
 控えめのアンドレイは、「気をつけて帰るんだよ」と言って握手をしてお別れする。

 今回はトランクを重くしないようにと十分に気をつけたから、出発検査はなにもクレームなく無事通過。
 空港免税店では、茶色熊のぬいぐるみを買う。

 定刻どおりに飛行機は成田へ向け出発した。ただただ、眠っていた私だった。
 1月20日 成田到着午前10時50分ごろ。穏やかな暖かい成田だった。成田でトランクを宅急便で自宅へ送ってもらうために、荷物の整理をしていたら、機内持込カバンの中から牛乳200ミリ紙パックが出てきた。そうだった、空港へ行く途中に寄った店で買ったのだった。「これは飲んだら危ないかな?」と思ったが、全部飲んでしまった。モスクワ風味の美味しい牛乳だった。
 
 
 でも、ご心配なく、私は、帰国後、とっても元気でした。