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ロシアの旅(3回目)
2000年7月16日〜23日
モスクワ・サンクトペテルブルク
やっと念願がかなって、憧れのモスクワ旅行へ。すごくモスクワへ行きたかった。こんなに惹きつけられるのはなんであったのか、いまもわからないが、とにかく行きたかった。どんな町なのかを見て確かめたかった。それまでモスクワになんの縁もないけれど。
友人たちへ「いっしょに行かないか」と手紙を出し、応えてくれたのは、北九州市からのあこちゃん。札幌市からの H さん 。名古屋市からは、U さんの女性3人。そしてロシアから日本へ留学している
Sマラトさん
を通訳・ガイド・用心棒として旅ははじまった。
サフュウリン マラト(以後、別稿では、別人マラトが登場するためSマラトと表記)は、モスクワで、ママや親戚達と久しぶりに再会した。私はパーティの席上、
習いたてのロシア語で挨拶
をするという大胆なこともしたり、すばらしい出会いもいくつもあった。西暦が2000年となったのと同じく、私の人生も大きくかわりはじめた記念の旅となった。
帰国後、サンクトペテルブルクで出会った、エレーナのために「扇・扇子・うちわを集めてロシアへ送ろう」と呼びかける、そのきっかけの旅でもあった。
2000年7月16日
4人のグループメンバーは前泊の成田のホテルではじめ会う。日本の北と南と真ん中から成田へ集まり、モスクワとサンクトペテルブルクに大いに期待をしている。リピータの私が、旅の注意をレクチャーしたりして興奮度を多いに高めた前夜だった。
成田からモスクワへの直行便は、かなり空いており、それぞれゆったりと席を取る、機内が寒くなったり暑くなったり。10時間の空の旅は、本を一冊読める時間だが、つらい時間でもある。
先に別の仕事のためにロシア入りしているSマラトには、モスクワシェレメチボ2空港へ迎えに来てもらうように連絡をしているが、果たしてあの混雑の空港ロビーで会うことができるのだろうか?機内ではそんなことを心配していた私だった。
荷物受取りのターンテーブルでは、私たち4人のトランクに印としてつけた黄色のりぼんが、いっしょに着いた日本人団体も同じで、「なんだ、かえってわからなくなったね」と、すごく残念で、でも4人で笑った。
入国手続きもスムーズに終え、さて、Sマラトはどこ?ああ、いたいた。空港出口の混雑の中で、日本に居る時は外国人で目立つ彼も、ここでは普通だが、彼の方からみつけてくれた。
彼はミニバスも手配してくれて、空港から市内へすぐ移動でき、車内で、キャッキャッとはしゃいでいた私たちだった。「ここがモスクワなのね」。
暑くも寒くもないが、人と車は多くって、空気は汚れている。午後7時ごろだが、まだ日が暮れる様子はない町を、車は走り、中心街のホテル「ブタペスト」へ。
こじんまりしているホテル。「ああ良かった、巨大ホテルはいやだから」。
ホテル予約係りはなにを勘違いしたのか、マラトとあこちゃんが同じ部屋に、私の部屋がシングル、HさんとUさん(ともに女性)がいっしょになっている。Sマラトは照れている。もちろんすぐに「訂正」、Sマラトはシングル部屋、女性4人は2部屋にわかれた。
夕食をホテルから道をはさんだロシア料理レストランへ。メニューも読めないし、料理の何がなんだかもよくわからないが、「ぺリメニ」「ブリヌイ」などを、注文しいただく。このときマラトが「スープをふたつ」と言った「ふたつ」がスープの男性名詞にかかる「ふたつの男性形変化」をさせていたのを聞き逃さなかった。そう、
私はロシア語勉強をはじめた
のです。といっても、まだ5ヶ月だからなにがなんだかわからないが。以前のロシア入国時とはあきらかに違う。
ホテルの部屋は蒸し暑かった。あとで冷房があることはわかったが、暑くってちょっと寝苦しい夜だった。
(写真*ホテルの前,レーニンが演説したところとか)
7月17日
雨模様。肌寒いので重ね着の上になお長袖上着を持って、町へ出 る。モスクワ在住の有名日本人男性 I さんに会いにいく。「ロシアらしいところへ行きましょう」と言って、私たちを、キエフ駅と周辺の市場と、地下鉄駅へも連れていってくださり、感謝。
(写真
*キエフ駅)
ロシアの鉄道駅は、行き先が駅名となっている。日本で言えば、東京から大阪へ行く時には、東京にある大阪駅から電車に。大阪には東京駅があるというようなもの。
モスクワには鉄道駅がいくつかあり、だからこそ行く先が駅名になっているのはわかりやすい。
「人ごみでは、くれぐれもスリに気をつけてください」と、きょろきょろしっぱなしの私たちに何度も注意をしてくださる I さんは、諸外国生活も長く、ロシアもとても好きなようで、庭を歩くようにキエフ駅周辺を案内してくださる。そして「旅は疲れやすいので身体には気をつけてください」とも。機内でちょっとカゼをひいたのか、H さんは、I さんから風邪薬をもらっていた。
I さんに感謝してお別れして、観光コースをめぐることにした。車は、Sマラトが手配してくれたサーシャ運転手の8人乗り車。Sマラトは、モスクワから電車で48時間はかかる町、チェリアビンスク市の出身で、サンクトペテルブルク大学で日本語を学びながら、アルバイトに、日本語通訳や観光ガイドで働いていた。
97年、私がサンクトペテルブルクへ行ったときに、日本の舞台芸能の通訳をしたのが彼だった。しかし、モスクワのことはあまり知らないらしい。
今夜は、Sマラトのママや親戚のみなさんとごいっしょに楽しいパーティです。ママやご親戚・友人達は列車で48時間かけて、モスクワにやってきたと言う。
私たちはゆかたを着て、いろんなおみやげを袋に入れて、サーシャの車で、会場となるマラトのいとこのアパートへと行く。パーティでは日本の歌を歌おうと、車の中で、持ってきた日本の歌集からいくつかを練習する。外は雨。蒸し暑い。日本の梅雨と同じようだ。
大歓迎を受けて、みなさんが心をこめて用意してくださったたくさんのご馳走、お酒、甘いものをいっぱいいただく。(写真*美味しいお料理が並ぶ)
Sマラトのママは、久しぶりに大事な息子に会えてとてもうれしい様子がわかる。が、日本人の女性たちに会えることも楽しみにしていたようです。通訳はSマラトが大奮闘。楽しいパーティが盛上がるばかりです。
私は用意したロシア語ご挨拶をお酒の酔いの力を借りて、読み上げた。なんという体当たりでしょうか、まったく。
美味しいお料理のお礼にと、私たちは歌を歌う。
「われは海の子」「村祭り」「もみじ」、それに「トロイカ」「カチューシャ」もみんなで歌う。写真もたくさん写して、それは楽しいパーティでした。
遠く日本へ大事なひとり息子を留学させているママの勇気とたくましさに感服する私たち。私がお土産で持っていった、ピンクの着物を喜んで着てくださり、「今度はぜひ、私の町へおいでよ」と、熱く誘ってくださる。
私たち4人へとお土産をたくさん用意していくださった。珍しい鉄製の置物(
下の写真
)をいただく。ここまで持ってくるのも重かったでしょうが、日本へ運ぶのも重い。
マラトはここでママたちと別れて、私たちのガイドに徹してくれ、ホテルへいっしょに戻った。
マラトのママからいただいたおみやげ。チェリアビンスク地方で、有名な黒い鉄 で出来ている。
ウラル地方の民話「石の花」を彫る主人公。
7月18日
朝、寝ぼけて時間を勘違いしている私をみなは笑う。まだ、時差ボケなのか?窓の鍵で指を切る。ちょっときょうは要注意の日ですね。
梅雨のような天
気で、きょうも曇り。でも、モスクワを後にして、サーシャの車で郊外へと出かける、みんなですごく楽しみにしている日です。
途中で、雨に降られたりしたが、途中の林は雨上がりの美しい景色を見せてくれた。大都市モスクワの郊外は、緑も濃いこんな林が点在していることを知った。
車を降りて、昼食にした。来る途中の市場で買ったメロンやパン、ジュースや昨日のパーティで持たせていただいたケーキやお菓子などを広げていただき、林の中を散歩もする。のんびり、ゆっくりする。
雨上がりのロシア正教教会の町では、祭りが行われているが、正直あまり興味がない。
アブラムツエヴォでは、休日で門が閉まっており、庭だけを散歩させてもらっていたら、ポーランド人グループから「ごいっしょにどうぞ」と誘われ
た。マラトが一緒だったからポーランド語がわかり、ごいっしょに休日の建物内部を見学することができた。
(写真*誘ってくださったポーランド人グループ)
モスクワとは違い静かなちょっと田舎の観光地の喫茶店は、なんの飾りもなく、うす暗くて、トイレの中はなぜか真っ暗で、恐かった。でも、それを私たちはキャッ、キャッと笑っていた。
サーシャの車でモスクワに一気に戻るが、途中気温がぐっと下がり、大慌てで長袖上着を着込んだりした。7月だと言うのに、寒い。
夕食を「ヤキトリヤ」という名の日本食レストランへ行く。ここは、うーむ、不思議なところ。ラーメンもお寿司も、「これが日本食??」っていうものだった。辛くって私はお手上げ。でも、Sマラトは喜んでいた。「ロシア人の口にあう日本食ですよ」って。
7月19日
きょうは、歩いて市内観光と美術館へ行く。私たちのホテルは、モスクワの中心部近くにあり、少し歩けば、「ボリショイ劇場」も「赤の広場」も「クレムリン」も近い。
17日にさらりと歩いた、「赤の広場」へ行く。ああ、ここが「赤の広場」だあ、と大感激する。と同時に、なにか足元からゾクゾクするものが伝わってくる。地の持つエネルギーでしょうか。
(写真はその17日に写したものですが…)。
「赤の広場」前に立つグム百貨店。おみやげを買おうと、みんなで歩き回り、いろんなお店を覗く。ロシアらしい青い焼き物グジェリ焼き専門店や、マトリョーシカなどのお人形がならぶ、お土産屋をいくつも覗いてみる。
きょうは、爽やかな晴天で歩くのも気分が良い。みんなが行きたかった「プーシキン美術館」へ行く。Sマラトは絵画の知識も深く、彼のガイドでいろんな絵を見て回る。サンクトペテルブルクの「エルミタージュ美術館」がロシア一有名だが、モスクワにもすごい美術館があることを知った。
私がここで特に見たかったのが、ピカソの「青の時代」の当初の作品「玉乗りの少女」。この絵の前では、体が動かない。まさに釘づけとなってしまう。ピカソの命の鼓動のどくどくという音が聞こえてきます。
美術館を出てから、「救世主キリスト教教会」へ行く。まだ建築途中で、中には入れないが、ここからモスクワ河をながめ、クレムリンが、モスクワからのテレビニュース報道でいつも写る位置と同じような景色で、「ああ、モスクワにいるんだわ」と感激する。
今夜は、寝台特急電車に乗り、サンクトペテルブルクへと移動する。
ホテルのひと部屋を出発まで借りていたので、みんながそれぞれ夜の出発までを待つ。夕食は、ホテルの前の歩道の屋台のポテト焼きやパンなどを食べる。
寝台特急「赤い矢号」。モスクワにあるレニングラード駅を午後11時55分出発。ふたりづつの部屋は、思っていたより広く、清潔な寝具で安心した。
乗り込んですぐに、車内販売のワインを飲み、気持ちの良い列車の揺れに身をまかせ、ぐっすり眠る。
(写真*赤い矢号の中・二人部屋。トランク類は、あとでベッドの下などへ置いた。ベッドは快適な眠る場所になる)。
7月20日
サンクトペテルブルクの到着は午前8時。到着前から目を覚まし、車窓からずっと続く美しい草原の朝焼けに見とれていた。緑の草の中をいろんな花が咲き乱れている。青空がだんだん濃くなってくる、素晴らしい景色です。
サンクトぺルブルクの町に早朝着いて、すぐにホテルへ。「モスクワホテル」は私には3度目。ここは巨大ホテル。以前は1階フロントから6分もかかって部屋に着くなんてこともあったが、今回はエレベーターからは近い部屋でよかった。
朝食兼昼食をホテル近くの喫茶店で思い切り食べ、エルミタージュ美術館へ行く。
ガイドのSマラトは、水を得た魚のごとくガイド口調も滑らかで「あれも見ましょう。これも見ましょう」と、私たちは忙しい。
それぞれに出会いを期待している絵画があり、ワクワクしながら、巨大美術館を歩く。
暑くも寒くもない快適な季節だが、時折ネヴァ河から吹いてくる風は冷たいときもある。半そでTシャツを着てきたことを後悔するが、スカーフを巻きつけて町を歩く。
夕食をサンクトぺテルブルク大学の近くのレストランで、おなかが破裂するぐらいに食べる。そして、橋をわたり、ま
たエルミタージュへ戻った。
宮殿広場の観光用馬車をみつけた。「馬車に乗ってホテルまで帰りたい」とか「4人も馬車に乗っては、馬がすごくかわいそうだ」と言いながら、Sマラトに値段などを交渉をしてもらう。
(写真は交渉中のSマラト)
「馬車はここだけで乗るものです。ホテルまでは行けません」と、通訳Sマラトは笑いもせずに言う。「じゃあ、この広場を一周しよう。お馬さんにがんばってもらおう」と賑やかに女性4人は大きな車輪の馬車に乗る。
宮殿前広場をややオモイ4人を乗せて、馬はパカパカと走った。馬のお尻を見て笑い、ひとり広場の端で待つマラトを見て笑い、なんだか、笑いぱなしで宮殿前広場をあっと言う間に一周してしまった。
もう、午後10時くらいなのに、町は明るい。日本の夕方のようで、勢いで「デパートへ行こうよ」となったが、「もう10時です。閉まっています」。とSマラトがまた、にこりともせずに言う。
地下鉄でホテルへ戻るとすぐに、私は寝てしまった。同室のあこちゃんが後で言うには「死んじゃったかと思うほど、すぐに熟睡でしたよ」。
7月21日
きょうもきれいな青空で気持ちが良い。私たちは、サンクトペテルブルク郊外の「夏の宮殿」へ行く。Sマラトの案内で、ネヴァ河から水中翼船に乗ることとした。30分ちょっとで、私たちをペテルホフへ連れて行ってくれた。私は2度目。以前はバスで来たから、高台にある宮殿の方から下へ降りたが、今回は海辺から宮殿へ上がることにした。噴水がいくつもあり、とても美しい。
ここで、日本で
ロシア語の勉強
を通じて知り合った、でもお顔を存じ上げない東京の茂さんに会えるかも。ただわかっているのは、「21日、夏の宮殿へ仲間といっしょに行く予定になっている」という、事前の電話での情報交換だけです。私の方も「じゃあ私たちもその日は、夏の宮殿へ行く予定しますが、その日のお天気とかでどうなる。、もし出会えればうれしいですね」。
広い公園で、出会う日本人団体に「○○さんはおみえですか?」と尋ねたりしたが、どうもうまくいかない。なんと言っても広い夏の宮殿。いや、サンクトペテルブル
クも、ロシアも、なにかもが広くって大きい。ここで、旅人同士が出会うのは、奇跡かも。
早めの昼食にレストランに入る。Sマラトが車の手配などで朝食抜きで働らき、空腹という。おしゃれなレストランに入ると、ホールの方から日本語が聞こえ、団体が食事をしている。テーブルの隅っこにいる女性に「○○さんはごいっしょですか?」と聞いたが「いいえ」。
と、あこちゃんが「あの人じゃないの?」。こちらへ向かってくる日本人男性がいます。そうです。会えました。「なんだか不思議なご縁ですね」とみんなで大喜びする。茂さんたちのツアーの添乗員が、また、Sマラトがペテルブルクでガイドをしていた時に、なん度もいっしょに仕事をした“優秀な”日本人添乗員 T さんであった。これも不思議なご縁で、Sマラトも大喜びだ。
出会うようになっている人とは必ず出会えると思う。茂さんとは再会を誓いあい、晴天の美しい噴水前でそれぞれの旅へと別れた。
Sマラト・ガイドの案内もまた絶好調。私たちも疲れを感じず、歩き回った。
水中翼船で、一気にペテルブルクへ戻ってきた。そして、もうひとり、この旅で出会うつもりのロシア人女性を探しにいくこととする。
この旅に出発する前に、女優西宮小夜子さんに連絡をすると「エレーナさんに会ってらっしゃい。美術館か博物館で働いている扇を研究している人だよ」。
でも「ロシア博物館、エレーナしかわからない」とか。Sマラトは「エレーナって名前はいっぱいです。ロシア人が集まっているところには、絶対複数いますよ」と言う。あこちゃんが「丸の内で、けいこさんってよぶようなものかしら?」と笑う。
Sマラトに連れていかれた立派な建物の中、警備員室のようなところで、マラトは電話をしたり、なにかを調べたりしている。手伝いたくとも、できないので、私たちは近くのベンチに座って待っていた。しばらくすると、マラトが「居ました。でも、きょうは休みでここには居ない。家に電話をしてみます」。「うわあ、マラトすごいねえ」。
エレーナは「昨日までモスクワへ出張していた。ぜひ日本人に会いたいから、午後5時に自宅へ来て欲しい」と言っ
ていると言う。
途中で拾ったタクシー、と言っても、日本で言えば白タクで、Sマラトが交渉して、話し好きな運転手のセダン車の後ろに女性4人が重なって座り、にぎやかにマーケットへ行き、時間をつぶした。
はじめて会うエレーナには、おみやげに花束を買う。
(写真は、町の花屋さん)
「どんな人だろうか?」とみんなでワクワクしながら、電話で聞いた住所へと話し好きな賑やかな運転手の車は、走った。
Sマラトはエレーナに「5人が行く」とは告げなかったそうで、(言うべきなのにね)ドアを開けたエレーナの驚きの顔。でも、「お部屋を用意するから手伝ってね」とマラトがテーブルなどを運んで、あっと言う間にお菓子や果物やお茶がテーブルに並び、私たちはぐるりとそのまわりに座った。
Sマラトの通訳でエレーナの仕事のことを教えてもらうが、いまひとつ私は理解ができなかった。
古い壊れた扇を修復することやその扇の歴史を調査研究することがどれほどのことがあるのかと、浅はかな私は、思っていた。
エレーナが日本に多いに興味を持っているが、日本のものが手元にないことはわかった。
「日本とサンクトペテルブルクともっと交流しましょう」、「私は、いずれ扇の展覧会をペテルブルクで開きます。手元にある世界のものを展示します」などと、すごく熱っぽく語る彼女のエネルギーに圧倒された。
突然やってきた日本人4人を大歓迎してくれるエレーナ。私たちは 再会を約束した。外では、乗ってきた車の運転手がチキンをかじって待っていてくれた。
いろんな出会いがあったサンクトペテルブルクでの最後の夜。4人の賑やかな日本人女性と我等に翻弄されながらも自分を失わない通訳・ガイドのSマラトの5人は、ホテルのラウンジでワインを飲みながら、ゆっくり過ごした。
「明日はお買い物をしましょうね」って約束して、おやすみなさい。
7月22日
夕方のペテルブルク空港発、関西空港への直行便は、夏だけ運行の臨時便で、これに乗るためには、昼過ぎにはホテルを出発しなければならない。それまでの時間は、町へ買い物に行こう。
朝食をさっさと済ませ、ホテルの両替所で買い物資金を両替しているときに、その
事件は発覚
した。名誉のために具体的事件内容は公表できないが、驚愕ものです。
それぞれに「ああしたら、こうしたら」「あそこへ連絡をしたら」「だれそれに聞いたら」と叫ぶように言いながら、みなそれぞれが解決策を模索している。
買い物どころではなくなったが、一番必要なことは、
5人いっしょに日本へ帰らねばならない。
だから、すぐに解決へ行動しよう ! と一致した。言葉や地理はSマラトにまかせて、みんなの動きが早いこと。さすが鍛えあげられている女性ばかりです。事件発覚から解決まで、3時間くらいか。運良くすべてが解決して、
5人で揃って日本へ戻ることができた。
ホテルへ迎えの車が来るまでの残された短い時間、走るように買い物をする。
私は、キャビア、リムスキーコルサコフCD,琥珀ブローチなど。ほかのみんなも、デパートや小売店の中を、Sマラトの手を引っ張り買い物に走った。
そしてホテルの部屋に戻り、汗をかきながら、最終荷物づくり。私は、このときにちょっと気をつければ空港で真っ青にならなかった。だれもが自分の荷物をつくることに、必死だった。慌てたなあ。
約束の時間にちゃんと車に乗り込み、、だれもサンクトペテルブルクへ置いてくることもなく、いっしょに帰ることができるのが、うれしい限り。良かった。
ホット安心したのもつかの間、空港の税関で「トランクを開けなさい。キャビアを多く買っただろう。持ち出し違反だ」と大きな身体でこわ〜い顔をしている税関職員に、私は怒られた。
Sマラトの通訳では「君がたくさん買ったことは、ほら(X線に)写っている。トランクを開けて見せなさい。う〜む。2個もらっておく」と、大柄税関氏が言う。素直にトランクを開けて、10個のキャビアをひとまとめにして入れた、その中から2個を税関氏に、手渡した。通訳Sマラトも驚いてなにか意味不明なことを私に言ったが、もう仕方がない。
なんだか、ツイテいない日だよ。暗い気分で空港待合室のお店をのぞけば、「ロシアの旅のおみやげにキャビアを買いましょう」だって。冷蔵ケースには、キャビアがいっぱいならんで居る。
「持ち出し禁止」ってなんなんだ。ああ、ここはロシアだあ〜〜。
搭乗までの時間ビールを飲んで待つ。美味しい冷たいビールに酔いながら、「ああ、いろんなことがあったなあー」。あこちゃんもいろんな緊張から解放されてうれしいのか、ビールを飲んでご機嫌です。
帰国してから。
ペテルブルクのエレーナに「日本の扇などをたくさん集めて送ろうか」と、思いつき、8月末から10月はじめまでに、多くのご協力をいただき、どんどん集まって驚いた。また、それが、いままで私が気がつかなかった美しいものだった。
その間に、モスクワユーゴザーパド劇場とも、日本で出会った。すごくおもしろい2000年の秋だった。